不安を締め出すためにひたすら唱え続けた言葉が、ある日私を支えてくれた話

思考の整理

会社が恐ろしくてたまらなかった新入社員時代と、毎朝の「カウント」

どこにいてもどこかに帰りたかった子ども時代を終え、心を生傷だらけにしながらそれなりの学業を終えた私は、なんとかとある会社に滑り込みで入社をすることができました。

だけど、毎日毎日、会社に行くのが恐ろしくてたまりませんでした。

朝起きると心臓がぎゅうっと縮み、眉間にはくっきりと深いシワ。

「今日はどんな難問が振られるんだろう」
「私の手に負えないような仕事が来たらどうしよう」

通勤電車に揺られながら、仕事への恐怖と不安に押しつぶされそうになっていました。

そんな毎朝、私はある言葉を心の中でひたすら繰り返していました。それはこんなフレーズでした。

私に起こることは、私にとってプラスになることである。

私に起こることは、私が解決できることである。

私に起こることの解決方法は、思いもよらない方法からやってくる。

だから、私は大丈夫。

本で読んだのか、誰かに教えてもらったのか、正確な出典は覚えていません。
いつの間にか、気づいたら唱えるようになっていたフレーズ。

周囲に人がいないところでは小声で、電車の中では心の中で。
回数を数えながら50回、100回。

それは「前向きに頑張ろう」という自己啓発的なアファメーションなどではなく、ただの「念仏」のようなものでした。

そうやって回数をカウントすることに脳のメモリを集中させていないと、あっという間に恐怖と不安が頭の中を埋め尽くし、どこまでも膨張してしまうから。
余計な思考を脳内から締め出すための、必死の防衛手段だったのだと思います。

当然、唱えたからといって自信が湧いてくるわけでもなく、何も変わりませんでした。
ただ不安を紛らわせるためだけに、私は毎日毎日、その言葉を唱え続けていました。

「やり直し」とだけ突き返される日々、逃げ出せなかった理由

当時の上司は仕事にとても厳しい人でした。

上司の承認をもらいにいっても「やり直し」とただ一言、突き返される毎日。
今となって振り返ると、とことん自分で考えさせるという指導をする人でした。

けれど当時の私にとっては、何が悪いのか、どこをどう直せばいいのかも一切指摘してもらえず、暗中模索で本当に辛いものでした。
(ああいう指導方法は、もしかしたら令和の今では通用しないのかもしれません)

逃げ出せばよかったのかもしれませんが、自分にまったく自信のなかった私は「ここを辞めたら、私には他に行く場所なんてない」と思い込んでおり、耐えて頑張る以外の選択肢を持てませんでした。

泣きながら降りた階段と、上から静かに降りてきた言葉

そんな日々の中、入社2〜3年目の頃、突然私に初挑戦の難題が振られました。

社内の複数部署との確認や調整が必要で、さらに監督官庁への確認まで求められる、当時の私にとってはあまりにも難易度が高すぎる仕事でした。
先輩や同僚からも心配されましたが、厳しすぎる上司の鶴の一声で担当することになったのです。

業務の全体像すら掴めず、他部署とのシビアなやり取りに精神は擦り切れそうになり、真っ黒な毎日がどこまでも続いていくような絶望を感じていました。
さすがに退職届を書きましたが、厳しい上司の前にそれを提出することは恐ろしくてできませんでした。

ある日、他部署との重い打ち合わせを終えた帰り道。
自席へ戻る途中の階段で、不安と焦りから、私はポロポロと涙を流しながら階段を降りていました。

そのとき、ふっと、階段の上の方から言葉が降りてきました。

「これも私にとってプラスになる経験で、しかも私が解決できることなんだ」

ドラマのように世界が明るくなったわけでも、劇的な自信が湧いたわけでもありません。
ただ、毎日のように何千回と唱えていた言葉が、真っ暗闇にとらわれていた胸の奥にすとーんと静かに落ちた、そんな感覚でした。

胸の奥に残った静かな錨と、手探りで向き合い続けた日々

すとーんと腑に落ちたからといって、難問である仕事そのものが急に簡単になったわけではありません。
相変わらず目の前には高い壁がありました。

けれど、胸の奥に残った静かな錨。

「これは私が解決できることなんだ」

心に落ちたその静かな錨を感じながら、私は折れずに仕事に向き合い続けることができました。

手探りで作ったたたき台を元に、他部署の人に質問を重ね、現場の実情を聞き込み、資料を探し、役所へ問い合わせる。
暗中模索の中で苦しみながら修正と改良を重ねて、最終的に一つの形へとまとめることができたのです。

後になって、あの厳しかった上司が社内の各所で「あいつは良くやった」と褒めてくれていたことを知りました。
あのときの経験は、今、私の仕事の土台になっています。

繰り返した言葉は静かに心に沈殿し、いつか力となるかもしれない

この体験を、特別な成功体験として語るつもりはありません。
また、誰かに「言葉を唱えれば救われる」と押し付けたいわけでもありません。

ただ、新入社員の頃、恐怖を紛らわせるためだけに機械的に唱え続けていた「ただの念仏」が、自分でも気づかないうちに体内に蓄積されていて、人生の限界の場面でふっと自分を支えてくれた。

この巡り合わせに対して、誰かに何かに感謝を伝えたい、ただそれだけです。

自分に向けて言い続けた言葉は、その場ですぐに効かなくても、心の中に沈殿していくことがある。

あの日、泣きながら降りていた階段の途中で起きたことは、私にとってそういうささやかな事実でした。

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